プロフィール

プロフィール

 

有水は大阪府守口市で生まれ、枚方市にて育ちました。

 

枚方・・・「ひらかた」と読みます。「まいかた」ではありません。

大阪と京都のちょうど中間。どちらにも30分ほどでいけるベッドタウンで、

 

まわりには田んぼ(写真は枚方ではありません)

 

淀川(写真は枚方大橋)

 

・・・しかない「いなか」で育ちました。

 

そういえば、「ひらぱー」ことひらかたパークも近くにあります。

 

不思議な色彩で有名な京阪電車が走っています。

 

記憶力抜群の子どもで、

幼稚園に入園する前に都道府県の名称と場所を覚えるほどでした。

 

 

両親とも中卒、また周囲の親戚に大卒はおらず

ブルーカラーが多い環境。

ただでさえ「勉強するという文化」がないなかで、

さらに、驚くことに「勉強するな!」と言われて育ちました。

 

素直なわたしは、

親の言いつけをちゃんと守って、

塾なし、ノー勉を貫きました。

それでも、

小学校ではつまづくことは

ありませんでした。

 

 

中学生になっても

塾なし、ノー勉を貫いていていましたが、

最初のころの成績は良かったものの

どんどん下がり始め、

2年の中ごろになると

数学でとうとう大きくつまづいてしまいました。

 

なにをやってるのかわからない状況でしたね、当時は。

 

 

三角形の合同の分野になって才能?が発揮されました。

前回の定期テストで、

数学はさんざんな点数だったのに、

次のテストではクラスでも

上位の点数をとることができました。

 

これに気をよくして、

勉強しようという気持ちになりました(たぶん)

 

中3になる前の春休みに、

本屋さんで超薄い中3の数学の問題集を買いました。

因数分解、展開や平方根を勉強しました。

だれにも教わわることなく、

例題や解説を参考にして。

 

そして、その予習のおかげで、

中3の1学期の中間テストで数学99点。

 

それだけではありません。

ノー勉だった他の4教科も95点以上。

 

さらに不思議なことが起こりました。

春休みに予習したのは因数分解や平方根だけ。

 

にもかかわらず、

これまでの数学が全部わかるようになっていました。

 

 

中3のときはずっと5教科450点以上で

五ツ木模試で偏差値70。

塾に通わず、相変わらずノー勉でした。

 

 

高校は私立の進学校に進みました。

自分の学力より下の学校を選んだので、

高校1年の中ごろまでは上位の成績でした。

模試では偏差値65~70あたりでした。

ベネッセ模試では70を超えていました。

 

 

しかし、

塾なし、ノー勉では成績は下がる一方......。

高2の中盤では

もう何をやっているのかすらわからない状態でした。

 

 

高3の受験校を決める進路面談でした。

自分としてはクラスの大半の生徒と同じように、

関関同立への進学を希望していました。

 

「関大を滑り止めにして、同志社か関学に行けたら・・・」

と、言い終わるか終わらないかのうちに、

担任に

「もうちょっと下も受けた方がええんちゃうか」と・・・。

 

 

その言葉で、自分の置かれている状況に気づいたのです。

おれ、やばいんや・・・

 

残り数か月しかありません。

自分に足りないものを考えました。

そして、また幸運。

たまたま買った参考書がピタリとはまり成績急上昇。

高校1年生以来の偏差値70回復。

 

当時の大学受験は、

大学受験史上もっとも難しかったといわれている

私大バブル期。

 

関関同の複数学部に現役合格し、

関西学院大学に入学しました。

現在の関学は、

残念ながら大きく評価を落としていますが、

当時は、早稲田・慶應≧上智>同志社≧関学>MARCHや立命館、関大

 

 

大学生のころからアルバイトで家庭教師や塾講師を経験。

卒業後はサラリーマンを経て、専業プロ家庭教師に。

指導歴は20年以上、プロ歴約15年。

48歳。「有水」は本名ではありません。

 

高学歴の先生の多くは

遺伝的にも経済的にも環境的にも

恵まれている人たちです。

私から言わせると、

勉強ができて当然の人たちです。

 

わたしは違います

恵まれていない状況でも、

教えられた方法ではなく、

自らの力で理解することができれば、

道を拓くことができることを

体験しました。

 

だからこそ、

「普通の子」たちの成績を

上げることができているのだと思います。

「普通の子」たちの可能性を信じられるのだと思います。

 

また、成績がずっとよかったわけではありません。

だから、成績が芳しくない子の気持ちがわかります。

 

成績が悪くなったときに、

自分で考えて対策を執りました。

塾に通わず、独学で大学までいきました。

このことは、

その生徒に合うやり方をあれやこれやと考える、

家庭教師の仕事に役立っています。

 

勉強を教える人間としては

異色の経歴だと思います。

しかし、

それこそが家庭教師としての

最大の武器だと信じています。

 

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公開日:
最終更新日:2023/02/11